novus axis

ノーヴァスアクシス

【公演中止のお知らせ】

 

「ティグラン・ハマシアン・ソロ ”For Gyumri ~光の記憶~” special opening act 高木正勝」公演は、台風21号の影響を考慮しギリギリまで開催実現のため検討いたしましたが、交通機関の乱れによりお客様のご来場、帰宅が困難になることが予想されたため中止とさせていただきます。チケット払い戻しに関してはこちらをご覧下さい。

 

チケット払い戻しについて

 

楽しみにしていただいたお客様には誠に心苦しく思っておりますが何卒ご理解をお願い申し上げます。

 

 

CONCERT

民族音楽、エレクトロニカ、ロックも融合させた独特の音世界で世界を熱狂させている、アルメニアが生んだピアノの”神童”ティグラン・ハマシアン、初の関西公演。

 

スペシャル・オープニングアクトに高木正勝を迎え、”響きの邂逅”に浸る一夜。

ティグラン・ハマシアン・ソロ ”For Gyumri ~光の記憶~”

special opening act 高木正勝

94日(火)19:00 start [18:30 open]

【兵庫】兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール

前売 6,000円 [当日6,500円] ※全席指定/未就学児童入場不可

※開場時ロビーにて兵庫のカフェ ”ハンモック・カフェ” のドリンクを特別にご提供します。⇒ 詳細はこちら

time table

19:00〜 高木正勝

19:35〜 ティグラン・ハマシアン

ticket

■イープラス http://eplus.jp/

 

■ローソンチケット TEL : 0570-084-005 http://l-tike.com/ Lコード:54547

 

■チケットぴあ TEL:0570-02-9999 https://t.pia.jp Pコード:120-927

 

■兵庫県立芸術文化センターチケットオフィス

 TEL:0798-68 -0255(10:00 AM ~ 5:00 PM / 月曜休み ※祝日の場合は翌日)
 
http://www1.gcenter-hyogo.jp/ticket/

info

キョードーインフォメーション TEL : 0570-200-888(10:00~18:00)

ノーヴァスアクシス TEL :03-6310-9553

credit

【主催】SHIKORI / novus axis 【協力】Fly sound / RYU 【制作協力】キョードー大阪

artist website

 map  会場HP 高木正勝 特別インタビューはこちら

message

“ティグランは、才能に満ち溢れたピアニストであり、作曲家だ。音楽に対する彼の素晴らしい着想は他に類を見ない鋭気を示していて、それは世界の文化に対するの彼のユニークな贈り物である証なんだ。”

ハービー・ハンコック

“僕らはよく似ているのだと思う。

初めて出会った時から家族のように時間を過ごし、

僕は彼の音楽が大好きで、彼もまた僕の脚本が大好きで、

僕らにそれ以上のものは必要ないのです。

僕らはただ一緒にセッションを愉しむ、似た者同士として”

オダギリジョー

“うねりながら万華鏡のように姿を変え続けるピアノ、刺激と安堵の両方に溢れています。何と呼んでいいか分かりませんが、私の心身に響きます。”

ピーター・バラカン (特別寄稿全文はこちら⇒http://shikiori.net/event

“ある意味最もロマンチックで、ある意味最も厳格な音楽家で、ある意味最も土着文化を掘り下げる人で、ある意味最もエンタテインメント性があるパフォーマーで、そして何よりも、世界一美しいメロディーを書けるアーティストのひとりだと思います。”

岸田 繁(くるり)

“本物の中でもほんものの音楽家である彼から気付かされ、導かれることは限りなく多いのです。もちろん聴き手として、そして書き手としても弾き手としても、です。 テクニックの前に表現が在るのだということを具現しているひととして、民族意識や母語から伝統と未来との関係を厳しく見つめているひととして、僕から見れば自分を含む日本の音楽家たちに欠落している意思や意識を突き付けてくる師として。それなのに飄々と、実に軽やかに歩き続けている彼にはスナフキンのイメージがどうしても重なります”

井上 鑑 (特別寄稿全文はこちら⇒http://shikiori.net/event

“「古代の観察者」。そう彼が自身の作品を名付けたとき、彼はただあてずっぽうに幻想の古代を妄想したわけではない。グルジェフが記した、声によって自在に時間を操り聴き手をめくるめく旅へと連れ出す神秘の技芸は、ギュムリ生まれの青年に宿された。ジャズというかりそめの様式をかりて、それは、21世紀へと密かに継承されたのだ。”

若林 恵 (特別寄稿全文はこちら⇒http://shikiori.net/event

高木正勝 インタビュー前編 “風土と響き、歌と生命の連鎖” 篠山 x SHIKIORI

聴き手 松永誠剛

“土間ですか?良いですね“ 高木さんの優しい声が、SHIKIORIに響いた、篠山に住む、高木正勝さんとの対話。 Skype越しにもセミの鳴き声が聞こえてくる、まだ 行ったことがない篠山の光景と響きに懐かしさを覚えた。 SHIKIORIの土間と篠山がピアノを通じて繋がったような気がした。

細田守監督の作品を通じて知って以来、僕は高木正勝さんの音楽の大ファンだ。 そして、高木正勝さんの音楽を聴いているといつも、頭に浮かぶ友人が居る、ティグラン・ハマシアン。 聖書に出てくるノアの箱舟がぶつかったとされるアララト山の麓、アルメニアのギュムリという小さな街で生まれたピアニスト。 “高木正勝さんとティグラン・ハマシアンの響きが似ている” そんな僕の勝手な印象がきっかけで、二人が出会う場所を作りたい思い、 9月4日に今回の二人の出会いと“コンサート”が 兵庫芸術文化センターで実現する。二人が出会う前に、SHIKIORIと篠山をSkypeで繋いで、高木さんにお話を伺った。 気がつけば、2時間以上の時間が過ぎていた。

 

Seigo「ティグランの音楽は聞かれたことはありますか?」

 

Masakatsu「最初の頃の作品から、多分だいたいは聞いたことがありますよ。 “Shadow Theater “を聞いた時に、ちょうど僕も“Tai Rei Tei Rio”という異国籍なバンド形式のプロジェクトをしていて、似ているなと感じました。 当時、僕は西洋の楽器であるピアノを使って、どうやったら現代の日本に合う音楽を作れるのだろうと探していました。クオリティをあげようとしていくと、どうしても西洋的になっていってしまうというジレンマがあって。そんな中で、中近東の音楽をはじめ、世界中の音楽を聴いていくと遠い異国の音楽なのに”日本的だな”と思えるものが沢山あって。いったい、何に対して僕は”日本的”と感じているのだろう、それを掴みたいなと思っていました。島国というよりは、海の外に連なっていくもっと”大きな日本”というものが自分なりに分かったら、もっと自由にこの土地の音楽を奏でられるのかもしれないと思ったり、ある種の”つじつま合わせ”をやっていた時期でした。音だけを聞いた印象ですが、ティグランさんも同じ意識で音楽を作っているように感じました。また同じくバンド形式だったこともあり、第一印象は、”同じことをやっている” 自分がやっていてもおかしくない音だと感じました。それ以来、どこか気になっている存在でした。また似ているけれど、もちろん育ってきた環境も違いますから、彼の音を聞いて、自分が追求すべき音が新しく見えてきた部分もありました。」

 

Seigo「僕自身、宮古島のMyahk Song Bookをやっているのも、どこまでが日本とは何なのかという思いがきっかけでした。ティグランを聞いていても感じるのですが、民族音楽というものではなくて、本当の意味での”ワールド・ミュージック”」

 

Masakatsu「思考が似ているのかもしれませんね。世界中で、”昔ながらの暮らし”が、どんどん”あたらしい暮らし”に移り変わっていっている時代。都会的な便利な暮らしの中では、平均律や規則正しく整った音楽の方が馴染みそうなのに、昔から残っている文化の中に、否応なく反応してしまうものがあって。その中でもやはり自分が生まれ育った日本周辺のもの、この風土に自然に馴染んでいくような、人だけじゃなくて水や風や生き物たちも含めて馴染むような、日々の暮らしに結びつくものに”ぐっ”と来る。でも今の時代に自分も生きているので、響かせる音楽としては、やっぱり新しいやり方、今の時代に合うやり方をしたいと自然に思っていて。そういう過程が同じなのかなと感じます。アルメニアという知らない国の作家の音楽はずなのに、聴きやすいですよね。それ と、演奏のスタイル見ていると、自分を見ているような感覚になる時がある、情熱的に入り込んで弾いたり、声が出たり、それが終わると、ふわっと広いところで穏 やかに弾いたり、僕もしてしまうことなので・・・・なんで一緒なんだろう?  笑。 他の楽器で演奏するようなことをあえてピアノに置き換えてやろうとしているところも似ていますね。

僕も昔から同じような考えでピアノに取り組んでいるので、全身全霊で取り組まないとやれない、悪く言えば余裕がなく、よく言えばエネルギッシュ。僕自身は、最近は演奏の仕方を変えたいなと思うようになってきて、演奏の仕方、音の捉え方もちょっとずつ変化を感じています。ティグランの音楽だったら穏やかなものをもっと聞きたいとも感じます。

他のピアニストには感じないのですが、ティグランさんを見ていると自分ごとのように感じることが多いですね」

 

Seigo「若い頃に比べれば、最近の作品は、アップライトとグランドピアノを使い分けていたり。響きへの意識が強くなっていますね。お二人の響きへの意識が、音との関わりが似ている。また、ティグランの初のサントラ作品がオダギリジョーさんという日本人 映画監督だったりと、日本とコーカサス、昔の人種のるつぼだった、二つの場所が出会う。DNAとかのデータによるとコーカサスの人々とアイヌや沖縄の人々は近いみたいです。それも最終的には交わっていくのでしょうが、もう、インタビューの内容、十分ですね・・・・笑 高木さんは人類学的なものは好きですか?」

 

Masakatsu「うん。興味ありますよ。熱心に本を読んだり旅に出たり調べていた時期もあります。いまは、古民家に引っ越して、里山に拠点を移して、気づいたことなのですが、 僕が本を読んだり旅先で出会ってきた憧れの、そのいわゆる「現地の人たち」って、そういう風に学問的には考えたりされていないじゃないですか、ただ、親が歌っていて、歌っているから、歌う、戦争や内紛なんかに断絶される時もあるけれど、親から子へ、もしくは共同体の中で伝え合って、ただ歌っている。勉強するというよりは、身の回りにある自然に合わせて歌っていく、その方法の方が、自分の求めている答えに近いのかなと感じます、知識よりも。遠くを見ることも大切なのですが、 今、自分を取り囲んでいる環境、大きな器に合わせる、合っていることが大切。鳥が歌っていたら一緒に音を奏で合って、今いる場所をお互いにとって面白くて気持ちのよい場所に変えるような。だから、だんだんと自宅以外の場所で演奏するのに前より苦労するようにはなっています。コンサートホールの場合、”合わせる”ものと遮断されてしまうので、自分自身が覚えている山の記憶を思い出したり、またその時の会場で出会った観客やピアノと遊びながら新しい景色を見つけていくしかない。スリリングですね。」

~持ち込むべからず、持ち帰るべからず~

Seigo「そちらに移られて何年ですか?」

Masakatsu「5年ですね」

Seigo「まだセミが鳴いてますね。」

Masakatsu「最近、ミンミンゼミに変わりましたね。数日前まではもっと隙間がないようなセミの鳴き声でした。昔から残っている音楽は他の土地で効力が出なくても、当たり前というか、僕の村のおじいさんおばあさんや北海道のアイヌの方々にお会いしても感じることなのですが、同じ景色の中で暮らして、同じ作業をして汗をかいて、一緒に同じものを食べて、一緒に笑って歌って、愛でて祈って祭りをして、そういうことが自分たちの 毎日の暮らしの中に編み込まれているのが大事なことで、そういう暮らしの中で育まれたものを外で披露するというのは難しいことなんですね。それが分かってきた時に、”コンサート”というものが不思議なものにも思えてきて。」

 

 Seigo「祈りの共有に近いですからね。僕も屋久島でコントラバスを弾いた時に鹿が 聴いていて。その体験が以来、”コンサート”という形式への疑問が大きくなりました。 鹿は演奏のクレーム言わないですからね。」

 

Masakatsu「それは鹿にとっても面白い演奏だったんですよ。嫌だったら、あっという間に去っていきますよ。笑」

 

Seigo「最近出会う人たちは似ていて、それも大きな意味では自然の摂理なんでしょう ね。こうやって、出会った人たちと対話をして、何かが生み出されていく。 “コンサート”に関しては僕も悩みが増えています。」

 

Masakatsu「今回のようなお話は本当に嬉しいですね、 まだ何をやるかも決まって いないけど、ピアノ一ヶ月くらい弾いていないし。 普段、コントラバスは弾いてますか?」

 

Seigo「あまり弾いてないですね。笑 僕がアフリカに居た時の先生に”畑をやれ”って 言われたんですよね、それがきっかけでSHIKIORIが生まれた。」

 

Masakatsu「良い先生ですね。」

 

Seigo「南アフリカから帰る飛行機の中で写真家のエバレット・ブラウンに出会って、“生活自体が芸術になる”という言葉に出会いました。ティグランも故郷アルメニア戻りましたしね。」

 

Masakatsu「生活自体が芸術というのは、僕もその通りだと思っています。どんな暮らしを日々しているかというのは、やっぱり出てしまうし、伝わると思います。

 

Seigo「前回のティグランの沖縄ではアンコールでループさせて作曲して、そのまま止めずに終わったことがありました。そのままステージから袖に来て、“お客さんが帰るまで音楽止めないでくれ”と言われた。笑。照明をつけて、終わりを知らせるしかな かった。 終わりが来てしまう、”コンサート空間”というのが苦手になってきています。」

 

Masakatsu「そうなんですよね。一回限りの公演が多いですが、しばらく同じ場所 で演奏できると違ってくるのかもしれませんね。」

 

Seigo「ツアーやコンサートというのものがただのエンターテイメントとしてではなく、人が出会う機会として大切にする。」

 

Masakatsu「ううん、9月4日は何しようかな?とはいえコンサートホールだからな~ 笑 コンサートホールで演奏するのと、この里山の外の環境に合わせて弾く感覚との ギャップが大きくて、楽しみでもあり、怖くもあり。大コケしないと良いんだけど。(笑) “セミに”合わせてできた曲です”と言って、会場行って、セミはいない訳ですから、困りますね。誠剛さんのお師匠さんのボボ・ステンソンさんもね。自然に合わせて、いますよね。」

 

Seigo「そうですね。世界中、自然との対話というのが音楽だったのかなと感じますね。自然との対話のために音楽という文法が生まれていったというか。」

 

Masakatsu「録音機械が小さくなった便利な時代なので、音楽を作っている人が来て、自然の音を録音して持って帰ることがあるのですが 、目の前にある音を素材として捉えているんですね。音を持って帰って、あとで他と混ぜたり加工する。それはそれで面白いですが、僕はここで目の前に話す相手(自然)がいるんだから、いま話せば良いのに、後回しにしないで、いま直接混じり合ったらいいのにと思うようになりました。」

 

Seigo「今回のコンサートタイトルの“光の記憶”は僕が勝手につけたのですが、“For Gyumri”とつけても意味がわからないので。」

 

Masakatsu「ははは」

 

Seigo「先日、写真家の上田義彦さんのギャラリーで僕が演奏させていただいたのですが、その展示会のテーマが”光の記憶”というタイトルで。ティグランの”Rays of Light”という新曲を思い出して、その意味を本人に聞くと”人間が生まれて最初に感じるものは光だ”と言っていたんです。上田さんも屋久島やインドなどの写真で、ピントがボケた写真を撮られていて、“モノを感じる前に光を 感じるためにはボカすしかない”というお話をされていて、“光の記憶”というのは二 人に共通しているなと感じたのです。結局、大半の人には意味が分からないタイトルではありますが。」

 

~しばし、調律師の内田輝についてのトーク~

なぜ鳥が朝5時に鳴くか知っていますか?

Masakatsu「家で烏骨鶏も飼っているのですが、ある時刻が来ると鳴くんですね。この前、いろんな人が家に集まって楽器を鳴らして遊んでいたんですが、途中で烏骨鶏が鳴くんですね。それで”ハッ”とするというか、音が良くなる。みんな最初はそれぞれの「芸」を 持ってきているから、すでに知っていることを披露しようとしてしまうんですね。 自分の思い通りのリズムや音量で鳴らそうとする。楽器の音がイタいイタいって感じがする。でも、その烏骨鶏が鳴いたことで、演奏が変わる、烏骨鶏の鳴き声を聴こうとする、立たせようとする、烏骨鶏が主旋律になっていく、という姿勢になっ てくる。そうなった後のみんなの演奏は本当に素晴らしかったですよ。柔らかな音で、周りの空気や生き物たちも一緒に楽しんでいるような。」

 

Seigo「高木さん、こう云うお話しってインタビューでされことありますか?」

Masakatsu「しないです! 烏骨鶏が話題に上がることもないので。しないです! しないです! 笑」

~二人爆笑~

 

Masakatsu「僕もわかってきたのは、この一年ですね。”遊び”では楽しいと思ってことだけど、ああ、もうこれだけで良い、という感覚になってきたのはこの一年。」

 

Seigo「気づくきっかけはあったのですか」

 

Masakastu「ソロモン諸島に行った時に、ポツポツとあった小さな島のひとつに滞在して。ぐるっと歩いても5分で一周してしまうような小ささの島で。隣の家に行くにも、泳ぐか、カヌーを漕ぐしかない、wi-fiもない、そんな海の真ん中にぽつんと取り残されたような環境に一週間ほど滞在していたのですが、人が住む、本島の方まで モーターボートで20分くらいかかるほど離れていたので、自然の音以外何にも聞こえなかった。波のちゃぷちゃぷした音や風や雨の音や。そうしたら、ある夜、耳鳴りのように頭の中に重低音が聞こえてきて、しばらくの間、何の音かさっぱり分からなかったんですけれど、徐々に耳鳴りじゃなくて、ああこれは本島から聞こえてくるクラブミュージックだなと。海を挟んで、遙か向こうから、ズンズンズンズン、と四つ打ちが聞こえきた。変な言い方ですが、“これは人間の音だと”感じた。今まで波や虫、鳥の声だけの世界で数日間過ごしてきたので、そのギャップ、僕は“そっち側“の味方/見方に入っていて、“これはめっちゃ迷惑だな”と感じたんです。それからです、自然がどういう風に人間の音を聞いているのか興味を持つようになりました。以前からピアノを弾いていたら、虫や鳥たちが騒いだりするので、どういうことな んだろうと思ってはいたんです。ソロモン諸島から帰ってきてからも、本で調べたり、周りの生き物たちが自分の音にどういう風に反応するかを試すようになりました。 以前だったら、まずは鳥の歌を録音して、別の日にピアノを録音して、と別々にやっていたことをやめにして。とにかく、家の窓を全部開け放って、僕のピアノを山の生き物たちがどう聴いているのか、山の音を僕はどう聴いてピアノを演奏しているのか、山とピアノが混じり合っている時間をそのまま記録するようになりました。気づいたら、1年半の月日が流れていた。色々な季節の色々な時間帯に試したのですが、日が昇るまでの、ひぐらし音、 お経のような音の時だけはピアノが弾けないんですよね。 優しく一音出してみるのだけど・・・“ああ~~~ごめん。やっぱ無理や、出せへん“となる。音が出せない、ということも面白いことだなと感じます。また、一年の月日の中である一定のこの鳥が”留守“にする時期が分かったり、ようやく、“そっちの耳”で聴けるようになってきた。それと、夜明け前の朝5時くらいになんで鳥が一斉に鳴くのかを調べ始めて・・・ なぜ鳴くのか知っていますか?」

 

Seigo「いえ。確かにいつも5時ですよね。」

Masakatsu「オスが鳴いているらしいのですが、テリトリーを作るため、メスへの アピールのために。」

Seigo「あ~~~」

 

Masakatsu「歌って、基本的にはオスがメスへ求愛する為に歌う。メスと出会うために歌い、子孫を増やすために歌う。歌と生命の連鎖が一体化していて。僕ら人間 は切り離して考えているけれど。歌がたくさん歌われているということは、生殖活動が盛んということで、いっぱい、新しい生命がそこにはいるということにつながっている。また、同時に、他のオスに邪魔されたくないので、 人間の目には見えないけど、音の波を作っているんでしょうかね、その日1日の縄張り、テリトリーを音で作り合う。それぞれ、音の空間を作っていき、数時間残るんでしょうね、良い空間がつくれたら、そこの空間にメスが入ってきて、また離れていく。面白い実験があるのですが、写真や映像で記録するとわかりにくいのですが、音で 記録すると、森林や自然環境の変化がわかる。音が極端に減っている地域は、その上空を低空飛行する飛行機が飛んでいたりして、結構な低音がするみたいんなですが、その音を聞いて、例えば、カエルは鳴き止んでしまう。3分間くらい飛行機が通り過ぎただけで、カエルは45分鳴きやむらしくて、その間、生殖活動が行われず個体数が減ってしまう。そういう風に連鎖していくと、カエルやオタマジャクシを食べていた、生き物も減っていって、鳥の数も減っていく。“音、歌と生命の連鎖”が一本の線で見えた時に、自分が自然の中で出すべき音というか、なんだろ。

人間以外の動物はそういう風に音を捉えているなら、警戒するために出す音もあるけれど、本質的には、生命のために音を出し、歌っている。生命を増やしていくために出している。“そういう風に考えると、自分勝手に演奏することにためらいを感じる。”鳥が鳴いている時に、できれば、彼らが鳴いているのを邪魔しないどころか、より歌ってくれるような演奏ができたらなと。まあ、一人遊びなんですが、日々刻々と自然の方も変わっていきますから、楽しくてですね、もっと続けたいなと。」

 

Seigo「うちの近所の田んぼでもカエルが鳴きやむ瞬間があったのですが、そういうことだったのですね。 メトロノームを使っていますか?ということをボボ・ステンソンにしたことがあるのですが・・・」

 

Masakatsu「一番使ってなさそうな人に。笑」

 

Seigo「そうそう。笑。彼から”不自然すぎて、自分は無理だ”という返事が返ってきました。トリオのメンバーも同じで、生きたリズムにするためにはメトロノームを使わない。」

 

Masakatsu「そうですよね。 逆になんでメトローム的な音楽が世の中にあって、それを好む人が多くいるのかというと、都会に行くと、できるだけ規則正しく物事が進むように整備されているし、あらゆるところで直線的な一定の流れを保とうとしている。メトロノーム的にカチカチ、刻まれた時空間なので、音楽もむしろカチッとしている方が自然というか環境にあっているのかな。それはそれでその環境には合っていて心地良くて良いと思います。好き嫌いというよりは、場所や暮らしによって音楽にもそんな違いが出てくるっていう、違いがあるということが面白いなあと思います。」

 

インタビュー後編「宮古島の老人ホームと鹿と塩~コンサートの先にあるもの、未来への出会い~」へ続く

profile

ティグラン・ハマシアン Tigran Hamasyan

 

1987年、アルメニア生まれ。

3歳の頃から、家にあったピアノでレッド・ツェッペリンの曲を弾き語り、11歳から様々なフェスティバルやコンクールに出演。ジャズ、ロック、クラシック、アルメニア民謡、エレクトロニカと様々な音楽を吸収しながら、10代を過ごす。2006年、弱冠19歳で、新人ジャズ・ミュージシャンの登竜門「セロニアス・モンク・コンペティション」にて優勝を果たす。ジャンルを超越した音楽を生み出し、クラシック音楽ファンから、エレクトロニカのファンまで世界各地の聴衆を熱狂させている。

 

2015年に発表されたデスメタル的作品「MockRoot」(Nonesuch)は、音楽シーンに強い衝撃を与えた。その後間もなく発表されたアルメニアの聖歌隊との作品「Luys i Luso」(ECM)では、ティグラン自身のルーツであるアルメニアの5世紀の音楽を掘り起こし、現代に蘇らせた。

 

そして、2016年にエレクトロニカのJan Bangらと共に「ATMOSPHÈRES」(ECM)を発表。その猛烈なスピードの創造性は、ブラッド・メルドーをはじめ、現代を生きる様々な国のミュージシャンたちにも、音楽的な影響を与えている。人間の音楽という概念を越えたティグラン・ハマシアンのピアノの響きは、聴くものの魂に直接語りかける。

 

2017年「An Ancient Observer〜太古の観察者〜」(Nonesuch)を発表。2018年に発表した最新作が今回の公演タイトルにもなっているEP「For Gyumri」(Nonesuch)。

 

 

高木正勝 Takagi Masakatsu

 

12歳よりピアノに親しむ。19歳より世界を旅し撮影した映像作品を作りはじめる。

2001年アルバム『pia』をニューヨークより発表。以降、 様々な表現スタイルでの国内外でのコンサートや展覧会をはじめ、映画音楽(『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』『未来のミライ』、スタジオジブリを描いた『夢と狂気の王国』)、CM音楽、コラムの分野など幅広く活動している。

news

姫路のカフェ ”ハンモック・カフェ”のドリンクをロビーでお楽しみいただけます。

 

開場時にロビーにて、心地良くステキな空間でこだわりの飲食と音楽を発信し続ける姫路のカフェ "HUMMOCK Cafe" の爽やかなエチオピアブレンド・アイスコーヒーと甘やかなアイスカフェオレをお召し上がりいただけます。ぜひ早めに会場にいらしてコンサート前に心と体を潤してください。